狂犬病は悲惨な病気です。かつて日本では狂犬病が流行し、多数の人や動物の命が奪われていました。しかし先人達の命を賭した努力によって我が国から狂犬病は姿を消しました。今は幸い狂犬病は発生していません。もう60年以上が経過し狂犬病の恐ろしさを知る人はほぼいらっしゃらないでしょう。
しかし、流行当時のことを忘れないためにと国内には記録がいくつか残っています。これからご紹介するのは昭和28年4月に刊行された埼玉県狂犬病流行史という本です。この中にはさまざまな統計データ以外に狂犬病を発症して亡くなっていた人の症状や経過が多数記されています。
その一例をご紹介します。お読みになると狂犬病予防がいかに大切かがお分かりになると思います。
患者第1号 女 71歳
昭和19年6月16日に畜犬に左背及び左手掌を咬傷され、その後これに対して予防接種は行わず放置しておいたが、咬傷日より45日後、すなわち昭和19年8月1日より恐水病(狂犬病のことです)を発症し、8月6日死亡している。その経過を下に示す。
8月1日午前9時頃より、既存の被咬傷治癒部に、痒感があり、全身倦怠と頭重とを訴えていた。
翌2日目にいたり、局所に「しびれ」感があって、それが、漸次向上し、手背より前腕に、さらに上腕に達し、本人は神経痛のためと思っていた。
3日目は肩に達し、患者は肩が張ると称し、同時に、頭痛及び咽頭部の変状を訴えていた。食欲は1日頃より不振となり、当初においては、「例年の夏まけで胃がおこった」と言っており、2日目、3日目と漸減してきた。
4日目、朝1椀(かゆ)を喫した以後は、食物を嫌い、絶食状態になり、しきりに咽頭部の変状を訴え、最初、氷を含むも後にはむせて、ついにこれを嫌避するようになった。盛夏の候で、患者は咽喉がかわくので、家族のものが番茶を汲んで患者にすすめるにこれを嫌って振り払い、直ちに痙攣発作を生じて、苦悶し始めた。
午後になって病勢が次第に亢進し、看護人が患者の汗を拭うべく、手拭いを患者の顔面1尺(30cm)のところに近づけると、これを嫌い、直ちに反射痙攣を起こして、苦悶する。また、非常に風をきらい、盛夏たるに室内を障子にて閉め切り、枕元に屏風をたて、なお「風が来る」と言って、後には患者の周囲にいる看護人の呼気も嫌うようになる。夜中は一夜中不穏不眠状態が続いた。
5病日に至れば、「けいれん」の発作とともに、苦悶狂騒の状激甚となり、発作と同時に、病床に両手をつき、前半身をおこして「ウオー ウオー」と犬の遠吠えのような大声を発し、その異様な呼声は腹の底から絞り出すごとき粗励で太い、しゃがれ声であり、病室より、30間(54m)位前方の県道の通行人に、犬の遠吠えとして聞こえたと言われる。同夜1時頃より、狂騒痙攣極度に達し、この発作と同時に「ウオー」と言って、突然病床に起立して後、横転し、あるいは後倒し、又は床の周囲を苦悶しつつはいまわり、最極期には「ウオー」とうめいて病床に跳ね飛び起き、しかして、転倒する等、ために、近親者3人にて、患者の左右の腕及び身体をおさえるに、なお、力及ばず飛び立てる状態となった。
71歳の老婆が、顔面蒼白にして、頬は痩衰し、頭に白髪を振り乱して、落ち窪んだ目で、一箇所を凝視して、突然異様な呻き声を発して、飛び跳ねるは、誠に悲惨な状景で、看護人や近親者をして「なんの因果なるかな」と悲嘆せしめたという。
3時以降には興奮狂騒状態幾分衰え始めたが、しきりに流涎は続いていた。
第6病日「死日」午前6時頃 体温38.9度 脈拍130 少々微弱である。
興奮狂騒後は、次第に沈衰し、痙攣発作は約10分間隔位に短縮して来、発作沈静時は意識明瞭であるが、午前8時頃より麻痺の状態が顕著となる。疲労衰弱は次第に加わってきて、間欠的な痙攣発作時は苦悶するが、起き上がる力はなく、横臥または伏臥姿勢で、鈍弱な嗄声(しゃがれ声)を発し、絶えず涎を流している。意識は漸次減退して来、不安、恐怖が強くなり、幻覚に襲われるようになった。
午後2時30分頃、発熱36.6度、意識不明となってきた。痙攣は軽度で咽喉部を中心としておこり、眼光鋭く、一箇所を凝視するも、視覚なく、鈍弱な嗄声と共に胃液を含む黄色な唾液を鼻及び口より多量に出し、口は常に開いたままで、かにの泡のように絶えず涎となって流れ、口、唇及び頬を非常に不潔に汚している。
漸次全身脱力衰弱し、呼吸困難となりて、重篤症状を呈してきた。
遂に6日午後3時40分死の転機をとった。